【特別インタビュー】イヴァン・シュヴァリエ氏

サロンデュショコラ

ヴァンサン・ゲルレ氏の右腕として長きにわたってキャリアを積み、M.O.F.ショコラティエの称号を手にした若きシェフ、イヴァン・シュヴァリエ氏。素材へのこだわりから、創造性、そして限界を設けず追求する姿勢など、すべては師匠から学んだという。“父親のような存在”だというゲルレ氏のもとを去り、夢を叶えるべく独立して1年あまり。昨年の秋からは、氏のご子息を見習いとして受け入れた。「かつて彼の父親が僕を一人前にしてくれたように、その息子を一人前に育てるのは僕にとってはチャレンジです」と、嬉しそうに語るシュヴァリエ氏。ナントではじまったストーリーは、レンヌに舞台を移して継承されていく。

――2019年のM.O.F.コンクールで、「ヴァンサン・ゲルレ」のシェフが、若干28歳にしてM.O.F.を取得したことは大きな話題となりました。ブルターニュ地方のレンヌにお店をオープンして1年ほどだそうですが、そもそも、この世界に進まれたのはなぜですか?

10歳のころにはすでに、パティシエになりたいと思っていたんです。うちの家系には食関係の仕事についている人はいませんでしたが、母が料理やお菓子を作る傍らで、手伝いをするのが大好きだったんです。それと、楽しみだったのは、気になるお店を見学に行くこと。両親に頼んで、パティスリーの工房見学に連れて行ってもらうような子でした。だから、他の職業に進もうと迷ったことはなく、パティシエ一択でした。

――お生まれはブルターニュ地方ですか?

 ええ。レンヌ近郊のバン=ド=ブルターニュという町の出身です。僕の経歴はいたってシンプル。レンヌの製菓学校でパティスリーを学び、その後、ナントの「ヴァンサン・ゲルレ」で見習いからはじめ、独立するまで10年以上働きました。

――もともとパティシエ志望だったのに、ショコラティエのM.O.F.を目指された理由は?

ゲルレでのパティシエ見習い期間の終盤に、ショコラ部門に移動になったんです。それが自分にぴったりハマって。それで、正式にショコラティエとして採用してもらい、半年後にはシェフのポストを任され、ショコラの開発から製造まで、多岐にわたって携わるようになったんです。だから、「ヴァンサン・ゲルレ」というブランドの進化とともに、自分も成長してきたという感じですね。当初は、まだ店も1店舗だけの小さなメゾンでしたが、徐々に規模が大きくなっていって。僕自身も、ともかくチャレンジしてみたくて、地方の小さなコンクールから、フランス国内や世界的な大会まで、色々なコンクールに挑戦しました。自分の力を試したかったし、少しでも完璧に近づきたかったから。

そうして自分のキャリアを磨きながら、常に頭には2つ目標がありました。「いつの日か、両親や友達のいるレンヌに戻って、自分の店をオープンすること」。そして、「トリコロールのコックコートを着ること」。これは製菓学校時代からの漠然とした夢で。若い頃はM.O.F.がなんたるかをそれ程は理解していませんでしたが、やがてショコラに出会って、自分はショコラが一番好きで、ショコラティエのM.O.F.をと確信したんです。

――ショコラにそこまで魅了されたのはなぜですか?

ショコラは液状にもなり、好きなフォルムに形作れるので、そのクリエイティブなアプローチが大好きなんです。だから最初は、ショコラティエという仕事のアーティスティックな面に惹かれました。ちょっと面白い話があって。子どものころの復活祭のときに、母が型抜きのショコラのオブジェを買ってくれたんですが、僕はそれを壊して、再びくっつけるというのをやって遊んでいたんです。彫像を作るみたいな気分で、湯をこすりつけてチョコの破片をくっつけて。ショコラティエのマネをしたというより、なにか自分の手で、アーティスティックなモノを作るのが好きだったんですね。

それと、ショコラの方がパティスリーに比べて表現の可能性が広いし、味わいをより集約できます。わずか10gほどのボンボンショコラの中に、味を凝縮できる。それが魅力です。小さなボンボンショコラという世界の中に、たとえばライムならライムのシンプルな風味を、果汁やゼストなどちゃんと配合のバランスをとることで、鮮やかな風味を表現できます。

――ショコラの方が、制限があるからこそ面白い?

 ええ、ショコラの複雑さ、ショコラの技術面も自分が惹かれる点です。僕は理解したいタイプなので、むしろ失敗するのは嫌じゃないんです。失敗したら、それを解決したいと思う。ショコラというのは、保存が効かないといけないし、クリームの量がちょっと違うだけでもまったく違うテクスチャーになってしまうし、本当に複雑なもの。でも、こうした面も、僕がショコラに惹かれる理由ですね。カカオの強い風味の中で、素材の味をまっすぐに出すというのはとても難しいことだけど、基本的に困難に対峙するのが好きなんです。ショコラとは常に、ちょっとした格闘を繰り広げていますよ。

――シュヴァリエさんのショコラを、ひとことで表現すると?

 素直な味わいのショコラ。これは何の味だろうと探ったり、複雑すぎるのは苦手です。素材を2つも3つも混ぜることもほとんどないし、食べたらすぐに何の風味か分かるような、素材そのままのシンプルな味わいを表現したいんです。僕自身シンプルな人間だし(笑)。

――それでは、あなたに一番似ているショコラは?

ソバの実のプラリネ「サラザン」ですね。ヘーゼルナッツのプラリネをベースに、そば粉のガレットをイメージしたビスケット状のものを混ぜ込んで、食感と風味を強めています。このショコラは、レシピを完成させるのにかなり時間がかかったし、この1年でも少しレシピを工夫して、ソバの味わいがよりストレートに出るように調整しています。

ブルターニュには、あまり特徴的な風味のフルーツはありませんが、ソバはブルターニュならではの味。僕はソバの風味が大好きだし、だから本当に、ソバを“導きの糸”にしたくて、うちではショコラだけではなく、パティスリーにもよく使っているんです。

――ガレット(そば粉のクレープ)は、ブルターニュの郷土食ですものね。

ガレットはブルターニュの伝統であり、僕にとっては子どものころの思い出の味で、まさに我が家のアイデンティティ。両親が働いていたので、毎週水曜日は祖母の家に預けられていたんですが、祖母はいつもガレットを作ってくれたんです。おやつに食べて、夜は家に持って帰って、父とフライパンで温め直して、シンプルにバターを塗って食べたり。

地球の反対側、たとえば日本でこのショコラを食べたら、ガレットの味に思いを馳せてもらえるはずです。ガレットを食べたことのない人々にも、ブルターニュの味を感じてほしいし、旅してもらいたいんです。これは僕にとって大事なことですね。

――使う素材はやはり、ブルターニュ産にこだわってらっしゃるのですか?

生まれ故郷に店を構えたのだから、地元の素材の価値を高めるのも自分の役割だと思っています。うちの父方も母方も祖父母は農業従事者だし、幼なじみも農業従事者が多いということもあり、テロワールへの愛は僕にとっては必然です。「ソバのはちみつのガナッシュ」のはちみつの養蜂家も僕と同世代で、うちの実家の近くなんですよ。

でも、地元やフランス産という枠に縛られて、味が二の次になってしまうんじゃ意味がない。ヘーゼルナッツはピエモンテ産だし、手に入る限りの最上の素材を使っています。それから、僕は使う素材の透明性にもこだわっています。だから、ソバはオーガニックだとか、レモンはオーガニックだと、自信を持って言えますよ。

――今後、地元の素材で使ってみたいものはありますか?

今、オリジナルのクーベルチュールを、ヴァローナ社に作ってもらっているんです。ブルターニュは酪農が盛んで、良質な乳製品が豊かな土地。だから、サン・マロの乳業メーカーの粉乳を使ってもらって、おいしいミルクの味わいが主張するようなミルクチョコレートができればなと。甘さは控えめで、まるで牧場にいるように感じるミルキーな味わいのね。

 それと、香りが豊かないちごの産地として有名な、プルガステル産のいちごを使ったレシピを完成させたいですね。いちごの甘さはショコラとあわせるのが難しく、まだうまくいっていないので、挑戦しがいのあるチャレンジです。きっと面白いものができると思いますよ。

――ご自身のショコラを通して、なにを伝えていきたいですか?

エモーション。これはすごく大事なことです。僕の夢は、いつの日か、「あなたのショコラを食べました。とてもいい思い出です」って言われること。それが一番おいしいかどうかは関係なくて、「いい思い出になりました」って言ってもらえるような、人々の記憶に残るようなショコラを作りたいんです。僕のショコラを食べて、すてきな時間を過ごしてくれることが願いですね。

――その夢も、すぐに叶いそうですね!

それでは最後に、あなたにとってショコラティエとは?

チョコレートという素材を究め、理解し、作品にまで高める者。そして、新たな技術を見出すなど、明日のショコラの発展へと繋げ、次の世代に伝えていくことも、真のショコラティエの重要な役割だと思います。



イヴァン・シュヴァリエ(Yvan Chevalier)

「ヴァンサン・ゲルレ」でシェフ・ショコラティエを務める傍ら、ショコラのコンクール「パスカル・カフェ杯」優勝、「ワールドチョコレートマスターズ」のフランス代表など、国内外の数々の大会で実績を残す。2019年には、初挑戦にしてM.O.F.ショコラティエ=コンフィズールの称号を獲得。2021年9月、生まれ故郷であるブルターニュ地方のレンヌに、自らの名を冠したショコラトリー=パティスリーをオープン。2022年の「サロン・デュ・ショコラ」と「アムール・ドゥ・ショコラ」にて、日本初上陸を果たす。

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